引退して40年、今なお、多くの人を魅了し続けている山口百恵さん。
数々のヒットソングを世に送り出し “時代が山口百恵を必要としていた” と表現されるほど、一時代を築いた女性です。
山口百恵さんの才能とは…?また、個性があらわれた名言とは。個性學(個性学)の視点から見てみます。
山口百恵さん 40年経っても記憶に残る伝説の引退ステージ
山口百恵さんが『スター誕生!』へ応募したきっかけは、同い年の森昌子さんがテレビで活躍しているのを見て「自分も森昌子さんのようになりたいと思ったから」と言われています。
1972年にオーディション番組『スター誕生!』で準優勝し、翌年デビュー。
そして人気絶頂だったにも関わらず、21歳で引退。
武道館で行われたファイナルコンサートでは、最後の曲を歌う前、ファンに向けて
「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」
と伝え、歌唱終了後に深々と一礼をし、ステージ中央にマイクをそっと置き、静かに退場していきました。
この演出が、百恵さんを伝説にしたとも言われています。
そして引退後、何度となく出演交渉がされましたが、一度も表舞台に戻ってこなかったことも、百恵さんの魅力のひとつではないでしょうか。
このような百恵さん自身の生き方に憧れて共感した女性もたくさんいました。
引退から40年経っても「アイドルの卒業=マイクを置く」というイメージが定着していることは、百恵さんの存在感の大きさを物語っています。
山口百恵さんの個性「城志向 独自型」
山口百恵さんの生年月日は、1959年1月17日。
個性は、「城志向」(独自型)です。
個性學「城志向」
「城志向」は、人生を楽しむために「好きな時に、好きなことを、好きなだけやっていきたい」という意識が強く、「自分らしさ」を大切にし「自立している人」を人生を通して目指していきます。
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個性學「城志向」の特徴とは?
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個性學「独自型」
また「独自型」には、このような才能があります。
「独自型」の才能
- 周りに左右されず、自分が信じた道を突き進むことができる
- オリジナリティに優れる
- マイウェイを実現するために時代を読み、じっくりと考える
- 自分のペースで着実に一歩一歩階段を登ってゆく
- 自分なりのバランス感覚を持って、自分に合う生き方を信条とする
「城志向」「独自型」の特徴は他にも多くあり、これらはその一部です。
百恵さんの生き方には、「城志向」「独自型」の才能を感じられますよね。
「城志向 独自型」山口百恵さんの才能と名言
山口百恵さんには結婚後のお話もあまりでてきませんが、夫の・三浦友和さんへのインタビューの中で、こんなエピソードが披露されています。
バブルで土地も建設費も高いときにローンを組み、仕事の良くない時期がちょうど重なってしまい、三浦友和さんが「家を売ろうか…」と百恵さんに相談したそうです。
その時の山口百恵さんの言葉が…
「10万円なら10万円の、千円なら千円の生活をするだけよ」
ゴール設定をし、その範囲内でしっかりお金を回せる才能を持つ、まさに「城志向」の言葉です。
また、「独自型」は希望を優先して「こうすればできる」と考えます。「なんとかなる」が強みであり、才能です。
このひと言に、独自型の才能も垣間見えますね。
三浦友和さんも、「あのときは、本当に助かりました。妻はいつでも泰然自若(たいぜんじじゃく)。何があっても動じないんです」と語っていました。
山口百恵さんの個性(=考え方・大切にしているもの)があらわれた言葉が、周囲に「名言」と感じさせるのですね。
山口百恵さんの個性「城志向 独自型」についてのまとめ
城志向
- 人生を楽しむために「好きな時に、好きなことを、好きなだけやっていきたい」という意識が強い
- 「自分らしさ」を大切にし「自立している人」を人生を通して目指していく
- ゴール設定をし、その範囲内でしっかりお金を回せる才能
独自型
- 周りに左右されず自分が信じた道を突き進むことができる
- オリジナリティに優れる
- マイウェイを実現するために時代を読み、じっくりと考える
- 自分のペースで着実に一歩一歩階段を登ってゆく
- 自分なりのバランス感覚を持って自分に合う生き方を信条とする
- 希望を優先し、「こうすればできる」と考え「なんとかなる」と思う