『個性學メディア』を監修している村上燿市先生は、日本で唯一のシニアエバンジェリストであり、「個性學アドバイザー」の資格取得講座を開催できる唯一の先生です。
ご縁あって村上先生と出会い個性學を知った人たちは、人生で大きな変化を経験。
そして「個性學の素晴らしさを多くの人に伝えよう」と、門下から次々に個性學アドバイザーが誕生しています。
現在アドバイザーとして活躍されている方に、個性學を知ってから起こった人生の変化や、実践法、独自の活用法などをインタビュー。
今回は、個性學アドバイザー「大物志向」編。
個性學を実践して夫婦関係・子育ての苦難を乗り越え続けた起業家・倉喜恵さんにお話を伺います。
この記事はこんな方におすすめ
- 子どもの個性が理解できず、問題にぶつかっている
- 夫婦関係・パートナーシップが上手くいかない
- 家庭崩壊の危機にいる
- 「収入の柱」を何か見つけたい
- 「このままでは終わりたくない」と思う
- 「大物志向」を理解したい方
- 「城志向」を理解したい方
プロフィール
倉 喜恵(くら よしえ)/個性學シニアアドバイザー
【略歴】
北海道教育大学を卒業後、小中学校・保育園の特殊学級教諭として勤務。
2007年(29歳)、結婚を機に退職。生まれ故郷の北海道から名古屋へ。夫が経営する「みき接骨院」の託児と経理を担当。
2010年(32歳)、第一子(長女)が誕生。子どもと接する経験に自信があり子育てに気合いが入っていたが、全く思うようにできず挫折し、産後うつを経験する。
2015年(37歳)、「何かしたい、このままでは終わりたくない」と思っていたところ、ネイル事業「ジュネル」と出会い、「ジュネリスト学院 愛知ファースト校」オーナーとして起業を決断。
個性を発揮して自分らしく生きはじめたものの、夫婦関係にすれ違いが生じはじめる。
また同時期に、個性學の学びをスタート。
2016年(38歳)、第二子(次女)誕生。
2017年、長女(小学2年生)が友人関係などのストレスや疎外感から、眉毛・まつ毛などを全て抜いてしまう事態に。それまでは知識だけだった個性學をフル活用して実践し、2年間にわたって長女を「承認」し続ける。長女と向き合い、お互いの理解と信頼関係が深まっていく貴重な時間を過ごす。
2018年(40歳)、夫の接骨院を法人化し「株式会社 幹」取締役に就任。
第三子(三女)誕生。
2019年、個性學シニアアドバイザー資格を取得。個性學セッションや個性學講座をスタートし、女性繋がりでクチコミに。収入の柱のひとつとなっている。
ミッションは、個性學を使って「出会った人を幸せにしていく」。
このままでは終わりたくない…「倉さんの奥さん」と呼ばれる日々
喜恵さんは、結婚を機に、北海道から名古屋へ引っ越されてきたのですよね。
個性學を知る前は、どのような様子で?
喜恵さん:
37歳で個性學を知るまでの私は
いい子でいることを意識して、ずっと頑張って生きてました。
どんな仕事でも与えられたことを真面目にこなしていたし、毎日の中でしっかりとした評価をもらうことを目指して生きてきたんです。
夫にとっても私は、しっかりしていて真面目で控えめな女性、良妻賢母 だったと思います。
でも心の中ではいつも「このままで終わりたくない」と思っていました。
なのに、目指すものやワクワク感が何もなくて…。
何かをやりたい。
後悔したくない。
でも、問題になりそうなことは避けたいから動けない…。
そんなループにハマって、自分を責めてばかり。
ずっと「私、これからどうなるんだろう…」って思っていました。
自分って根暗な性格だなと思ってたんです。
結婚を機に名古屋に引っ越してきから、知り合いはずっと、“夫の繋がり“ しかいなかったんです。
で、ふと気付いたら、私は「倉さんの奥さん」という名前でみんなから呼ばれていたんですよ。
それに「ん?」と感じはじめたんですよね。
「こんなにたくさん話をして、相談もされてるのに、いつになったら私の名前を覚えてもらえるんだろう…」と。
そんなときに、やってみたいと思えるネイルの事業に出会えて、
「これだったら、夫は真似できない!」「自分の名前で立てる!」
と思いました。
で、家のことや子どものこともあるし、夫に協力してくれるか確認したんですよ。
そしたら「いいよ!協力するよ」と言ってくれたんです。
なので、全て自分のお金で出資して、起業を決断しました。
夫婦関係と個性學
やりたいことに出会えて良かったですね。
同時期に、個性學にも出会われたのですよね。
自分らしさに気づいて救われた!個性學との出会い
喜恵さん:
はい、個性學を知ったのもその頃です。
やりたい事業をスタートして、個性學も学びはじめて、その頃からようやく私らしさが出るようになってきたんです。
理解しあえない「大物志向の妻」と「城志向の夫」
でも私が事業をやり始めて頻繁に出張に行ったり、バタバタしたり、家のこともやり方を変えて工夫してやったりしていたら、
夫とのあいだにすれ違いが出始めて…。
夫は協力してくれるって言ったはずなのに、あまり協力してくれてないように感じて…。
むしろ、批判的に感じてしまうことばかり言われてたんです。
「事業の数字が取れているのかどうか、数字を出して」とか(笑)。
夫は「城志向」なんですよ。
今ならその言葉も
「城志向らしいな、夫なりに気にかけてくれてるのかも」
と思えるのですが…。
当時は、批判されているようにしか聞こえなかった。
私は、誰かのお金を使ってやっているわけでもないし、
子どもたちのことや家のことも、なんとか上手くこなしてるつもりでいる。
なのに、
「採算が合っているのか」
「そんなに出張に行って経営は大丈夫なのか」
「計画性はどうなんだ?」
など、毎度毎度聞かれて。
私は「え…」って言葉に詰まってしまう。
城志向の夫にとっては当たり前の何気ない言葉が、大物志向の私にはグサグサッと刺さっていたんですよね(笑)。
で、私は
「たとえ文句を言われても、他の時間を削っても、やるって決めたからには何としてもやろう!」
と決めていたので
「協力してもらえなくても、私はやるわ」という感じになってしまって。
2人の生活は完全に分離してしまったんです。
周りからは夫婦不仲だと思われていたみたいです(笑)。
やっと自分らしく生きはじめたのに!
数字・稼ぎ・計画性など、現実的なことを気にして聞く夫、
ひたすら動いて頑張ってるのに文句ばかり言われると感じる妻。
なぜ、すれ違いが起こってしまったのでしょう?
喜恵さん:
私の行動が、夫の予想を急に越えたんだと思います。
夜中までバリバリ働いていた独身時代の私を、夫は知りません。
控えめで真面目、いつも家にいてくれるような良妻賢母な姿を、本当の私だと認識していたんだと思います。
私自身がそう見えるように頑張っていたんだから、当然ですよね。
でもいざ私が自分の事業を始めたら、スイッチがパチッ!と入ってしまって。
突然、「大物志向 挑戦型」らしいフットワークの軽さを発揮して、行動範囲が広くなったり、即決で新幹線に乗って移動したりしはじめた。
家でもずっと動きまくってて、朝から汗だくになって、シャワーを浴びてから出かけなきゃいけないくらい動く。
とにかく目の前のことをどんどんこなしていく。
夫からしたらきっと、本当の私がそんなのだとは知らずに結婚してしまった。自分の知らない奥さんが急に出てきた、え、急にどうしたの…⁈ みたいな感覚だったのかと(笑)。
なるほど(笑)
喜恵さん:
一方、私は私で、夫のことを
「私のことを理解してくれない人」
と思うようになっていました。
全然協力されてないし、応援もされてない。
「こんなに冷たいなんて…!」って、心の中でびっくりしていたんですよ。
でもあるとき、夫婦でお世話になっているT先生から言われたんです。
「びっくりしているのは、旦那さんのほうだと思うよ」と。
「え…そうなんだ!」と、そのとき初めて、夫の心境に気づいて(笑)。
自分は夫の冷たさに一番びっくりしてると思ってたけど、夫の方が私に対してもっとびっくりしてるはず、と(笑)。
喜恵さん:
ですよね(笑)。
ちなみに個性學的に分析すると、夫と私は2人とも「城志向 夢想型」を持ってるんです。
それまでの私は 外面 を主に見せてきてから、夫はきっと、自分と同じわかり合える人間だと思っていた。
なのに私がいきなり、それまで抑えていた内面の個性を出しはじめた。
お互いの理解が追いつかなくて、急に夫婦関係がすれ違ってしまったんです。
城志向の「好きなことを各自でやろう」が寂しい
喜恵さん:
こんなこともありました。
夫が経営する会社の経理や託児を手伝っていたのですが、
自分の事業を始めてからは、「もう来なくてもいいよ」と言われてしまって。
そのとき「私って、必要とされてないんだな…」と感じてしまったんです。
喜恵さん:
もしかしたら、そうかもしれませんよね。
城志向 の「好きなことがあるならやればいいじゃん、俺も俺で好きなことをやるから」っていう考え方を、大物志向は理解できないんですよ。
城志向は、相手を尊重するつもりで「好きなことをそれぞれしよう」と言ってくれてることがあるみたいなんですけど、
大物志向は、「みんなで一緒にやろうよ!協力し合おうよ!」と思っている。
なのでそんな風に言われたら、
「この人は、私の方を向いてくれてないんだな…」って線を引いちゃうんです。
寂しいんですよね。
大物志向の私は
「もっと関わってきてよ!私も関わりたいから!」
って思うんですよね。
なので、城志向からすると「大物志向は面倒くさい」ってなるみたいですが(笑)。
「男女の考え方の違い」だけではなくて
個性の違いもあるんですね。
気づかないうちにいろいろな誤解が起こっていそうです。
もしかしたら旦那さんは当初の言葉どおり、協力しているつもりだったのかも?
喜恵さん:
協力しようとしてくれてたかどうかはわからないし、思い出せないんですけど…。
でも事業を始めて2〜3年経った頃に、
「夫婦なんだし、成功してもらいたいとずっと変わらず思ってるよ」とポロッと言ってくれて。
その時に「え?そう思ってくれてたんだ…!」と。
そんなことを言う人じゃないから、またびっくりしました。
私はずっと「協力されていない、応援されていない」と思い込んでいたし、
「私は夫に理解されないんだ」
とあきらめモードになってましたから。
各自で個性學を学び、相手を理解していく
個性の違いを知らないと、悲しい結末になっていきそうですね…。
それからは、どのように関係を良くしていったのですか?
喜恵さん:
各自で個性學を学んで、そのギャップを解消していきました。
2人で一緒に個性學講座に参加したことはないですが、それぞれが自分のペースで学んで実践。
それからは
「今日こんな話を聞いてきた」
「こんな発見をしたよ」
と、個性學の知識を共有する時間が増えていったんです。
夫の個性(城志向)を知ってからは、
「城志向は、時間・お金・目的意識がある。
それに対する推進力がある。
だからこそ、この言動をしているんだ」
と、理解できることが増えたと思います。
「そうか、城志向はそう思ってるんだ!」って認めただけでも、すごく楽になりました。
今は2人で、日常的に個性學の話をすごくたくさんします。
「城志向はこうだよ」「大物志向はこうだよ」という話をするときは、自分の言葉で伝えやすい。
夫の考えを受け入れる時間も増えています。
自分のなかで相手を理解して、シェアして、アウトプットして。
すれ違いを感じていた頃から 4〜5年の時間をかけて、個性學を学びながら少しずつお互いを理解していきました。
知れば知るほど、私たちは正反対だなと感じるのですが、今は、夫婦仲はとても良いですよ。
以前よりも、夫を尊敬しています。
よかったですね!
夫婦それぞれが個性學を学んで相手を理解するというのは、
関係を良好にするのに役立ちそうですね。
喜恵さん:
そう思います。
私たちみたいに、別々で学んでもいいんです。
個性學という共通言語があるだけで日々色々なことを共有できるし、
「夫は私のことを理解してくれている人なんだ」と思えるようにもなります。
私たちは正反対くらいに全く違いますが、お互いの得意分野が違うからこそ補い合えることも多くて、感謝の気持ちも湧いてきます。
私が開催している個性學講座にもご夫婦が何組か参加されるんですが、みんななんだかんだで楽しそうなんですよ。
- 個性學を学んでから「ごめんね」のスピードが早くなった!
- 「仕方ないよね」って思って次に進めるようになった!
- コミュニケーションの時間が増えて仲良くなった!
などと、夫婦で受講した感想をいただいてます。
夫婦喧嘩がなくなるわけではないみたいですが(笑)。
個性は正反対でも同じ夢を目指す考え方
パートナーと個性が全然違う場合、
上手くやっていくコツはありますか?
喜恵さん:
村上先生のメンター・T先生に、以前アドバイスしてもらったことがあって。
「お互いの個性があまりにも違いすぎるから、それぞれが大きな夢を持つこと。
今は目の前の自分のことをしつつ、将来的には一緒に大きな夢を目指せるようにしようね」と。
目の前の違いだけを見ると、2人は全然違う。
でもすごく大きく見れば、2人とも同じテリトリーの中にいる。
そういう最終目標のかたちを作ろうって。
私のミッションは「出会った人を幸せにしていく」なんですが、
それくらいのスケールで考えると、夫と共有できる夢を目指せるのかなと思っています。
このアドバイスをいただいてから5年経った今、目指す方向は、なんとなく一緒になってきました。
「枠を大きくしたら一緒だね」って思います。
子育てと個性學
喜恵さんは子どもが3人いらっしゃいますが、
子育てにも個性學は実践されましたか?
個性學を実践し、長女と向き合い続けた2年間
喜恵さん:
子育てにはもう、めっちゃ個性學を使いました!
長女が小2の頃の話なんですが、人間関係に悩んで疎外感を感じ、まつ毛と眉毛を抜き始めたことがあったんです。
1週間ほどであっという間に全ての毛がなくなって…。
結局、2年ほどその状態が続きました。
びっくりしました。
それまで私は違和感に全然気づかなくて…。
その頃はちょうど三女が生まれて、家族の形が変化していた時期だったんです。
下の子たちにかまう時間が多かったので、
「長女の話を聞いてあげられてなかったのかな…」とか、
「何か気づいてあげられなかったのかな…」とか思いました。
私のなかでは急にって感じで。
当時はすでに個性學を知っていたんですが、
「へえ。長女はこんな個性なんだ、面白い!」
で止まってたんですよね。
知識だけあっても、個性學を実践していない段階でした。
長女の個性は「内面:城志向 独自型 外面:大物志向 完璧型」。
私にとって、理解するのが難しかったんです。
- 気になることへの凄まじい集中力
- 自分の世界に入ると周囲の状況を察することが苦手
- 納得するまで終われない
- だから周囲から出遅れ、集団生活についていけないこともしばしば
この子にどう接したら良いのか、ピンときていなかった。
学校の友だち関係では、女の子特有のいざこざが増えてきた年頃。
本の世界にはまって、現実から遠ざかっているように見えました。
「疑問が湧きすぎるから、授業が面白くない」と言い始めたのもこの頃です。
個性學は「承認」に使うと良い
喜恵さん:
もう最初はどうしたら良いかわからなくて、
「個性學は「承認」に使っていける、使うといいよ 」
と先生に教えてもらって、それを信じて長女を「承認」し続けました。
娘との二人だけの時間をとって、話を聞いて、まずはとにかく「承認」。
叱りながら長女と話す時もあれば、泣き崩れながら話す時もありました。
何をして良いかわからなくて、ブレたり落ち込んだりしながら色々挑戦しました。
話を聞いていると、長女は、友達のなかで認めてもらった経験がないみたいでした。
「どうせ私の話なんて、最後まで聞かないじゃん。
私の気持ちなんて言わなくても、世の中流れていくじゃん」
と言っていて。
諦めてたんですよね。
常に
「自分のことはわかってもらえない。
どうせわかってもらえないなら、頑張って自分のことは言わなくていい」
と思っていたようです。
「私は生まれてきてよかったの?」
と言った言葉が、今でも心に残っています。
何度も何度も、二人で泣きながら話し合いました。
承認し続けて、
個性學を実践しながら勇気を与えて、
「かけがえのない人間だよ」と伝え続けていったんです。
そうしたらあるとき、
「友達にも先生にも全部を話せるわけではないけど、お母さんになら言える」
って言ってくれて。
「お母さんだけが唯一聞いてくれた」って。
そんな存在になれたのかな。
当時のことを娘は最近、
「なんか辛かった。でも ”人はみんな違うし、違っていい”とお母さんに言われて、楽になったことを覚えている。あのままだったらおかしくなってたと思う」
と、笑って話していました。
この2年間は個性學があったから乗り越えられたし、私にとっても長女の個性を深く理解できた時間でしたね。
自分と友達の個性を知り、前向きになった長女
喜恵さん:
それから、長女本人にも自分の個性を少しずつ伝えていきました。
今は、自分・家族・友人の個性を知って、「私は私でいい」と思えているようです。
「自分のお母さんが、お母さんでよかった」
とも言ってくれて。
心に響きましたね。
人を見るときは、個性學的な考えを持って関わるようになっています。
そうすると、友達のことも理解しやすいと。
以前の長女は、
「友達はなんで、あんなことを言ったのかな…」
とわからなくて傷つくことがあったんですが、
その友達の個性(3分類など)を知って
私が「友達からは、○○(長女)がこんなふうに見えるからかな…」って言うと、
「うん、そうかもしれない!だってその時に…」
って話しだして、納得してくれるようになってます。
小学生の頃から個性學の視点で物事を考えてるなんて!
どんな大人になっていくか楽しみですね。
喜恵さん:
そうですね。
本人は「自分の好きなことを好きなだけやって、それが誰かの役に立って、稼げる仕事だったら最高!」
って、城志向らしいことを言っています。
「稼げる」っていう言葉は夫が教えたものですが、2人とも城志向らしさ全開ですよね(笑)。
仕事での個性學活用
個性學アドバイザーとしてはどのような活動を?
収入のひとつに個性學アドバイザーを
喜恵さん:
個性學を取り入れた個人セッションと、個性學講座を開催してます。
この時間がとても好きで。
メンバーのみなさんから感想をいただいたり、個性學を活用してどんどん変わっていく姿を見たりするのは、本当に感動します。
それを感じることが幸せ。
私の場合は、ほぼ知り合いからの紹介で繋がっていってます。
個性學を教えるようになってから、「倉さんの奥さん」って呼んでくれてた人たちが、講座に参加してくれたりしたこともあって。
あれはすごく嬉しかったですね。
やっと自分が認められたー!って(笑)。
講師業は、学びの時間を共有することでその方の世界観が変わっていくのを見ることが楽しいんですよ。
私の場合は「楽しい!きっとみんなのためになる!」と確信したので、個性學アドバイザー資格取得を目指しました。
今では、自分の好きなことで収入を得られる。ひとつの柱になっています。
昔の自分には考えられないくらいの変化ですよね。
チームに個性學を導入するには、個人面談から
個性學を会社やチームで活用するには、どのように導入を?
「生年月日で判断するなんて…」と、疑念・誤解を与えることもあるのでは?
喜恵さん:
私の場合は、夫の経営する会社で、個性學アドバイザーとして講座開催やアドバイスを任せてもらっていて。
スタッフのあいだに個性學をそれとなく浸透させていくように、普段から努めてます。
まずは年に2回、夫・スタッフ・私で行う三者面談で、少しずつ個性學的アドバイスを取り入れて伝えていくんです。
目標設定について上手くいっていないことがあれば、個性學的にアドバイスして上手くいくようにします。
「今までの方法ではなくて、こうしてみたら」
「これは個性學でアドバイスしているからね」
って、じわじわと伝えていきます。
同時に、
「リーダーは、後輩を育てていかなきゃ。後輩の個性を理解する必要があるんだよ」
とも教えてあげる。
個性學は社内教育にも使えるんですよ。
それから、お客様対応でも個性學を活用できることを伝えます。
「どう対応してあげたら、お客様が心地良いか」を、個性學的視点で教えていくんです。
日常のことから浸透させて、スタッフが個性學を信用できたら本格的に講座を開催し、体系立てて教えます。
個性學を導入するステップ
- スタッフ一人ひとりの個人的な問題を、個性學を使って解決する(面談時などに個性學的アドバイス)
- 時間をかけて、個性學への信用を高める
- 個性學講座を開催し、リーダーらに体系立てて教える
村上先生の個性學は、ムスビを見せてくれる
夫婦関係にも、娘さんにも、仕事にも、個性學をフル活用されていて感動しました!
個性學とともに、色々なことを乗り越えてきたように感じました。
喜恵さん:
本当にそんな感じです!
もし個性學に出会ってなかったら、家庭も仕事もどうなっていたことか…。
バラバラに崩壊していたかもしれません。
とっくに北海道に帰ってるかと…考えるだけで恐ろしいです(笑)。
個性學には本当に「助けてもらった」と感じています。感謝しかありません。
村上先生のもとで一緒に学ばせてもらっているのも、本当によかったなと。
個性學で一番大事な「ムスビ」の実例を、たくさん見せてもらえました。
「そうか、こうやって結んでいくんだ!」って。
個性學は、個性を診断して「あなたはこうですよ」ってハンコを押されて終わりじゃないんです。
そこで終わったら、ただの診断。
「そこから先がある」ってことを、村上先生の個性學やチームは教えてくれる。
「あなたはこんな個性を持っている。だからこそ、どうやって新しい未来を築いていけるか?」
を教えてもらえるんです。
ムスビについては正直、この環境で一定の期間やってみないとわからないというか、言葉で伝えるのは難しいんですが…。
気になる方は飛び込んでみてほしいですね。
自分の3分類や12分類がわかっただけで終わらないでほしいです。
私は夫婦のこと、親子関係のこと、仕事のこと、何回何回も「もう無理!」って思いました。
その時に支えてくれたのはもちろん周りの人だけれど、「逃げる姿や我慢する姿を子どもに見せちゃいけないな」という親の責任を持って、頑張りました。
「お母さん、忙しそうだけど、好きなことやって楽しそうだよね」
「仕事って楽しいんだね」
「自分の好きなことをやって人生歩んでいいんだね」
って思える子に育ってほしくて。
なので、親子関係が上手くいかない時は仕事に癒され、仕事が上手くいかない時は子どもに癒され…って感じだったんです。
家庭と仕事の両立は難しいってよく言うけれど、私は両方あってこそでした。
そして、上手くいかないものを結んでくれる個性學があった。
いろんなことを結んでくれるのが個性學だなって思います。
個性學は、日常のあらゆる出来事が解決できます、楽しい!
まずは「学んでみたい」という興味のままに個性學に触れていくことを、たくさんの人にお勧めしたいです。
個性學とともに苦難を乗り越え、自分らしい成功の道を進む喜恵さん。
イキイキ楽しそうに話してくれる姿は、「人生ってこんなにも変わるんだ!」と勇気を与えてくれます。
みんなのために、プライベートなことまで話していただきありがとうございました。今後のご活躍も心より応援いたします!