スペシャルインタビュー 人志向

【前編】個性學の創始者・石井憲正先生 スペシャルインタビュー「個性學ができるまで」

個性學の創始者であり「日本個性學研究所」所長である石井憲正先生にスペシャルロングインタビュー。

他ではなかなか聞けない個性學の誕生秘話想い・使命学んでいる方たちへのメッセージなどを聞かせていただきました。

前編は「個性學ができるまで」、後編は「個性學のこれからと、次世代へのメッセージ」。複数回にわたってお届けします!

「日本個性學研究所」石井憲正先生のプロフィール

石井 憲正(いしい のりまさ)

【略歴】

1970年代初頭に「生年月日」と出会い、適性との関連性を発見。

1978年、32歳でコンピュータのシステムハウスを起業。

多数の社員を抱えるなか、適性を知る手法を用いて教育システムを開発。スピーディーな人材育成に次々と成功する。しかし大企業からの引き抜きが多発し、育成した社員が次々と辞めていく日々を経験。さらには創業時の同志らも一斉に辞めてしまい、大きな負債を一人抱えながら大変な苦労を経験する。

1985年、銀行によるM&Aで奇跡的に助けられる。

1985年、十数年間の臨床をもとに個性學の研究所を創業。

「生年月日で適性を知るシステム」を開発したものの、「占いの域を出ず、使いものにならない」と判明。創業からわずか3ヶ月で頓挫し、暗中模索の日々を過ごす。

1987年、師となる本田常二郎先生と出会う。

師との出会いをきっかけに生年月日を単なる占いから「人類が幸せと平和を創造するためのシステム=個性學」へ昇華させ、後に「3分類」「ムスビの法則」を発見。個性學を確立する。

1990年、個性學の原理を活用した「天分経営」を考案し、普及させるための「個性學コンサルタントグループ」を発足。

この頃から個性學は経営者のあいだで話題に。研究所への入門・入社を希望する人が後を絶たないほど訪れるようになる。

2000年前後から個性學は経営者以外にも知られはじめ、子育て・教育現場・家庭などでも活用されるようになる。

現在も365日研鑽し続けており、大学や研究機関との連携を進めながら個性學の大衆化に尽力。今後、新刊が続々と出版される予定。

個性學ってなに?

石井先生、どうぞよろしくお願いいたします。

最初に「個性學とは一体何か?」を教えてください。

編集部

石井先生

はい、よろしくお願いします。

個性學とは、誰もが、ひとり一人が心から幸せになり、世界が平和になるための科学的システムと私は思っています。

半世紀前に仕事の適性を知ることから生年月日に出会い、1987年に本田常二郎先生と出会い、本田先生から出された宿題を実践することで個性學は誕生しました。

それは、人類がこれまで経験したことのない「幸せ」と「平和」を、21世紀に創造するためのシステムの誕生 だったと思います。

個性學研究所ができるまで

個性學は、どのような経緯で誕生したのですか?

編集部

生年月日の適性で人材育成に成功

石井先生

僕が「生年月日」に出会ったのは1970年代初めで、仕事の適性を知ることからでした。

SE(システムエンジニア)の適性と生年月日の関連性に気付いた僕は、自分でいろいろと検証していたんです。

その後32歳で起業し、コンピュータのシステムハウスを経営しはじめました。

当時は何十人もの社員を抱えていて、SEの育成には時間がかかった時代だったんです。

でも僕は、適性を知る方法を開発していたこともあって、通常2〜3年かかる育成を、わずか数ヶ月でやっていました。

そうできるように教育システムを開発していたんですね。

通常2〜3年かかる社員教育を、たった数ヶ月で!

すごいですね。

編集部

大手に引き抜かれ社員が次々辞めていく

石井先生

ですから、うちの社員は成長がものすごく早かったんですよ。

でも苦労もあってね…。

当時はコンピューター業界はどんどん伸びる時代で、SEは引っ張りだこ。

スピーディーに育成してようやく仕事ができるようにしても、すぐに大手に引き抜かれちゃうんですよ毎日のように辞表が出てくるんです。

今と違って当時は、30代で何十人もの社員を抱えている経営者はいなかったし、大変でしたね。

会社経営の苦労で人間不信に

僕はアメリカのHP社のコンピュータを売っていて、営業に行くと競合は大手ばかりだったんですね、富士通・IBM・NECとか。

そこへ僕は、誰も知らないコンピュータを売りに行くわけです。

そうすると営業先の担当者は「IBMにしましょう」「富士通にしましょう」などと社長に提案するんだけど、社長さんは「石井さん、あんた若くて面白いね!あんたに惚れたから仕事をあげよう。あんたが成長するのが楽しみだね」などと言って、いろいろな会社が僕に仕事をくれるわけですよ。

そして社長さんがまた知り合いの会社を紹介してくれて…となって、僕は、小さい会社ながらも大手との競合には一度も負けたことがなかったんです。

でもコンピュータの仕事というのはトラブルの連続と言ってもいいくらいで、当時はトラブルばかりだったんですよね。

そうすると「石井くんを信じてお願いしたのに、このトラブルはどうゆうことだ」という話になってしまう。

しかもうちの社員は、他社に高給で迎えられてどんどん辞めていくわけです。

トラブルは起きるし社員はいなくなるしで、毎日5社くらい得意先に謝りに行くのが僕の仕事になってしまった。

そして忙しさに振り回されて残った社員のフォローを怠ってしまったのがいけなかったのか、

挙句の果てには、一緒に会社を作りあげてきた十数人のメンバーが一気に抜けてしまったんですよ。

それで、「もう会社はやっていけない」となってしまって…。

それでも残った社員が助けてくれてなんとかやっていましたけれども。

僕の個性がもし先端型とか配慮型ならそのままコンピュータ業界に残ったでしょうけれども、僕は人志向自然型ですから、日進月歩するスピードについていけませんでした。

だから思い切って会社を手放すことにした。

でも「もう辞める」と銀行に申し入れしたら、なんと銀行がM&Aをして助けてくれてね。

借金が数億円あったんだけど、返済しなくてよくなったんです。

あり得ない話ですよね。

でもそんなことを経験して僕は、人間不信になってしまったんです

「もうこれからは誰も頼らないで、一人で仕事をしていこう」と。

一生懸命に育てた社員は次々辞めていったし、借金の責任も僕一人で負ったし、「裏切られた」と思ってしまったんですよね。

人間とコンピュータ、両方をわかるのは自分しかいない

石井先生

それで、「一人で10年、20年、30年やっていけるものって何だろう…」と考えていたときにね、親友が言ってくれたんですよ。

「コンピュータができる人は世界にゴマンといる。でも、人間のこともわかるのは世界で石井さん一人だよ。それを仕事にしなさいよ」と。

その言葉が背中を押してくれて、「僕しかできない」ということで石井の名前をつけて「石井個性學研究所」をしようとなったわけです。

その年は1985年で、偶然にも、当時の文部省が「個性の時代」を打ち出した年でした。

人間のことを深く理解されている石井先生が、人間不信になった時期があるというのは意外なお話です。

編集部

個性學研究所を設立

3ヶ月で断念!生年月日占いは役に立たない

石井先生:

そんな経緯で「石井個性學研究所」を創業したんですが、僕はすでに十数年にわたって「生年月日」を自分で検証していましたから、「適性を知るための占いシステムができる」と思っていたんです。

ところが実際にシステムを作ってみたら、それまでの生年月日の情報ではやはり「占い」であって、人事などでは全く使い物にならないレベルだと判明したんですね。

「占い」は「売れない」と知ったわけです。

それで「これでは使えないね…」ということで、個性學研究所を立ち上げてたった3ヶ月で、プロジェクトが終わってしまって…。

十分やれると思って始めたんですけど、全くダメだったんですね。

当初は3ヶ月で断念されたとは、驚きです。

それから、どうされたのですか?

編集部

師との出会い

石井先生:

それで一からどうしようかと思い悩んでね…。

暗中模索の日々が始まるわけですが、いろいろと不思議なことが起こるんです。

僕に「霊力・超能力を教えたい」という人たちとの出会いがあったり、神仏の言葉集や古文書が僕のもとに毎日届いたり…。

そんなときに、霊能者であり超能力者であり仏教者でもある本田常二郎先生にお会いする機会があったんですね。

お会いしてみてビックリ。本田先生は年間3,000人もの方が相談に来られるような方で。

「先生に会うと、癌でもなんでも直ってしまう」というとんでもない人だったんですよ。

それで、私のお客さんの中で重病の人を先生のところに連れて行ったんですが、みんな次から次へと治っちゃうわけです。

そのうちに、本田先生から「石井くん、遊びにおいで」「石井くん、年に2回くらい来なさい」と言われるようになって。

行くとちゃぶ台の上に山のようにご馳走が並べられていて、「石井くん、食べなさい」「石井くん、2階に布団を敷いてあるからお腹いっぱい食べたらそこで寝なさい」「私は酒を飲みたいだけ飲んでから寝るから」と。

本田先生と過ごす時間は、先生がそのとき興味を持っている話を聞かせていただき、私の意見を聞かれ、また熟慮され…の繰り返しでした。

ちなみに本田先生の個性は「内面:城志向 悠然型 外面:城志向 実益型」でしたね。

3つの宿題

そんなことが何度かあった後に、あるとき先生が「石井くん、柴又帝釈天に行ってきてくれないかな?」とおっしゃったんです。「そこへ行って、こうゆうことをしなさい」と言われたんですね。

これが、本田先生からの1つ目の宿題でした。

そして1989年の夏には、「埼玉県の鳥居観音へ行って、21日間の誓いを立てに行ってください」と言われました。

2つ目の宿題です。

その次は「ネパールに行ってきてください」と。

3つ目の宿題です。

本田先生は、ただ「行くように」とおっしゃるだけで、目的は話していただけません。

「そこへ行けば何かを感じる、得るものを見つけられる」と確信されているように見えました。

それで僕は躊躇することがありながらも、柴又帝釈天・鳥居観音・ネパールへ行ったのですが、本田先生からのこの3つの宿題を実践したことで、個性學の基礎が誕生したんです

そして30年の時を経て個性學は、単に適性を知るとか、その人の個性を知るとか、そうゆう次元のものとは全く別物になっていくのですね。

誤解を恐れないで言えば、個性學は「一人一人が幸せになる法則」「世界を平和にする法則であり原理原則であり哲学」になっていったんです。

「おむすび」の考案〜3分類発見〜個性學の確立

本田先生の宿題を実践する中でどのような変化があり、

個性學は確立されていったのですか?

編集部

言葉は神様・仏様 という気づき

石井先生:

ここからの話はいきなり飛躍するけれども、とりあえず信じてもらっていいかな。

2つ目の宿題・鳥居観音に通っているときの話です。

「おしゃかさまが亡くなって、観音さまになった」 と言われているんですが、「観音さまって誰か?何か?」って考えていたんです。

おしゃかさまの「おしゃか」という言葉ですが、何かを作ろうとして「形にならない、形にならなかった」ときに、「おしゃかになる」って言いますよね。

だから「お・しゃか・さま」とは、「お+さま」が付いていますから、「形にならないもので、大切なもの」ということなんです。

それって何だろう…と考えたわけです。

答えは、「形にならない大切なもの」とは「言葉」なんです。

おしゃかさま=形にならない大切なもの=言葉

おしゃかさまは4月8日生まれです。48…、48音…、つまり日本語です。

日本語の48音「あ・い・う・え・お・か・き・く・け・こ…」を繋げると、あらゆる言葉ができますよね。

「あなたをすくいます」「あなたはせいこうします」「なおります」「がんばろう」「やればできる」とかね。

そんな助ける言葉や勇気づけの言葉を聞いた人は、その言葉を信じて勇気をもらったり頑張ったりするわけですよね。

それはつまり、「言葉=おしゃかさま=観音様」だと。

ということが、鳥居観音でわかったんです。

そして、「言葉は仏様神様」というこの気付きは、3分類の発見へ繋がっていきます。

言葉はおしゃかさま=観音さまであり、神様仏様なのですね。

大変勉強になります。

編集部

あらゆる問題は言葉で解決できる「観音あそび」

石井先生:

それから、言葉の「音(オン)」を漢字に変える遊びを思いついて、それを「観音あそび」と名付けました。

さっきも言ったように、言葉は観音様です。

観音さまだから無限です。観音あそびをすることによって、あらゆる人間の悩みを言葉によって解決することができる。

それはイエス・キリストもおしゃかさまも孔子も論語も同じです。教えは全て言葉ですし、経典は教え(言葉)を文字にしたものです。

「観音あそび」の方法は…

例えば、「アイ」という音をいろいろな漢字で書いてみると「愛・相・合・哀……」と、たくさん出てきますよね。「アイ」という「音」にはそのような意味があるということ。それを繋げて遊びます。

例えば「笑い」という漢字は、もともと中国語です。「ワライ」の「音」を他の漢字に書き換えると「和来・輪来・倭来…」。

これらの漢字にはどんな意味があるんだろう、神様はこの音(オン)で何を言いたいんだろうと考えて遊ぶ。

自分の感性で新しく「漢字の単語」を創造してみる。

これが「観音あそび」です。

観音あそびをすると何がわかるかと言うと、その人の現在の状況と個性がものの見事にあらわれます

今だったら、「ネンマツ」という「音」で観音あそびをしてみると、その人の今の状況と個性が漢字で表現されてきますよ。

観音あそびは、その状況をガラリと変えることができる「枠を超える発想」でもあるのです。

そしてここが一番大事なのですが、観音あそびには不正解はないです、全部正解です

"全てを認める"ということ。個性學と同じなんです。

僕は「観音あそび」を開発したことで、「どんな問題でも解決できるとわかりました。

そして僕は経営コンサルタントですが、「観音あそびで、どんな問題でも対応できる」と自信が持てました。

「はい・いいえ・まあまあ」=「ムスビ」

石井先生

それから説明が難しいのですが、僕は言葉の勉強を数年続けていたこともあって、あらゆる言葉の中で日本語が最高だという確信も持ちました。

そして、世界最高である日本語のなかで一番特徴あるのは「まあまあ」という言葉だということも、鳥居観音で気付いたんです。

Y E SでもNOでもない、日本以外にはない言葉「まあまあ」。これはどうゆう意味を持つのか、考えました。

「はい・いいえ・まあまあ」というこの3つの返事は、全く異質です。

「はい」は、賛同・同意。

「いいえ」は、反対・容認できないこと。

「まあまあ」は、賛成も反対もしない・肯定も否定もしない。あえて言うなら「もうひとつあるよ」という意見も持つ。

僕は「まあまあ」こそが日本文化を作り上げたと確信しました。

そして、この3つから「ムスビの法則というものを考えました

「3分類」の発見

石井先生

「ムスビの法則」の詳しい説明はまた別の機会にさせてもらいますが、「ムスビの法則」は、「全く異質な3つの存在を明らかにし、異質な3種類があるから、人類は進歩する」ということに繋がっていきます。

これが、個性 3分類 を発見するきっかけになったんです。

3分類を発見したことから 6分類 ができ、12分類 ができ、その他の全ての分類や理論が一瞬に、いきなりわーっ!と僕の頭の中で構築された。

そして「個性のフレームワーク」が完成して、個性學の体系ができあがったんです。瞬く間に。

瞬く間に!!

すごいお話です!

編集部

石井先生

「個性學は3分類に始まり、3分類に終わる」と言われるほど重要視される理由も、このような経緯からなんです。

個性學研究所のプロジェクトが創業3ヶ月で頓挫し、暗中模索の状態になってから約5年。

ようやく3分類を発見しました。


後編「個性學のこれから」 に続きます。

個性學研究所を設立されてからの苦労や、個性學を学んでいる方たちへの貴重なメッセージをお届けします!

【後編】個性學の創始者・石井憲正先生にインタビュー「個性學のこれからと、次世代へのメッセージ」

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