インタビュー/受講者の声 人志向

個性學とともに見つけた私の居場所―孤独を抱えながらも「本気で人と関わりたい」と歩む大森啓湖さんの再生ストーリー

「本気で人と関わりたい。」

そう語る大森啓湖さんは、「個性學ナビゲーター」であり、カウンセラー/公認心理師です。

かつては周囲の期待に応えようと、全力で頑張り続ける日々を送っていました。中学校教師として、子どもたちの安心できる居場所を作ることに情熱を注ぐ一方で、心の中では孤独を抱え、自分を追い込んでしまったといいます。

そんな大森さんの人生を大きく変えたのが、先生方との出会い、そして「個性學」でした。自分自身や家族、周囲の人の個性を知ることで関係性が少しずつ変わり、さらに先生方が見守り続けてくれることで、「孤立を選ばなくていい」「本気で人と関われる」ということに気づいたのです。

今回のインタビューでは、教師時代の苦悩、退職後の模索、そして個性學を学ぶことで生まれた変化や成長について、大森さんの経験や想いをもとにお届けします。

「もう一人じゃない」「関わる人を、誰も孤立させない」――そう決意し、「本気で人と関わる」ことを目指して新たな一歩を踏み出した大森さんのストーリーには、同じように悩む女性へのヒントと希望が詰まっています。

この記事はこんな方におすすめ

  • 本気で「自分」を生きたい女性
  • これからの人生や生き方に迷っている30代後半から60代の女性
  • 「自分に自信を持ちたい」と思っている方
  • 身近な人(夫婦、親子、友人や職場の人等)との関係を良くしていきたい女性

個性學ナビゲーターとは

個性學アドバイザー・個性學エバンジェリストの資格を持ち、「個性學ナビゲーター研究会」の認定審査会にて推薦を受けた人。「個性學ナビゲーター」は、個性學レポートの内容を個別に解説する活動等を担っています。

※「個性學ナビゲーター研究会」とは:四半世紀にわたり個性學を実践し続けてきた専門家が中心となって発足した非公開の研究会です

プロフィール

大森 啓湖(おおもり けいこ)/個性學ナビゲーター

【略歴】

大学卒業後、中学校の教師として18年間勤務し、子どもたちにとって「安心できる居場所を作る」ことを信条に、全力で教育に取り組む。しかし、次第に周囲と自分を比べるようになり、知らず知らずのうちに自分を追い込み、メンタルの不調に陥ったことで退職を決意。

退職後は、不登校の子どもたちを支援する適応指導教室での仕事に従事しながら、40代で大学院に進学。公認心理師資格を取得する。

2019年、立石先生との出会いをきっかけに、村上先生から「個性學」を学ぶ。自分や家族、周囲の人たちの特性を深く理解することで、関係性の改善を実感。特に、冷え切っていた家族関係が劇的に変わり、自分と相手を理解することの大切さを改めて知る。

現在は、公認心理師として子どもたちや女性の心のサポートを行うとともに、個性學ナビゲーターとして自己理解や人間関係の悩みに寄り添い、個別相談を実施。

「本気で人と関わること」をテーマに、同じように生き方に迷う女性や、家族や身近な人との関係をより良くしたいと願う人たちと向き合い、孤立ではなく自分らしくイキイキと、共に成長していく生き方を広めることを目標としている。

「強く生きなきゃ」と頑張って、居場所を探していた

心が揺れる時期の子どもに関わりたくて、教師を目指す

大森さんは教師歴が長かったのですよね。

教師を目指した経緯は?

編集部
編集部

うちの親は自営業をしていて、経済的に浮き沈みの激しい家庭で育ったんです。お金のことで両親が喧嘩する姿をずっと見てきたから、子どもながらに「お金のことばかり考えなくていい、安定した仕事に就きたい」と思って、学校の先生になりたいと思うようになりました。

母の口癖は「人に迷惑かけるな」で、父には「男に負けるな」ってずっと言われ続けてきて。

だから、子どもの頃から「強くいなきゃ」と思っていました。常にリーダーにならなきゃと思っていたし、ずっとお利口さんでやってきて、周りに気に入られるように人の顔ばかり見ていた子どもでした。

頑張ることで自分の居場所を見出してきたけど、心の中はずっと寂しかったんですよね。

特に中学時代は気持ちがぐらぐら揺れ動いていて。でも、担任の先生がすごくユニークで、文化祭でみんなで創り上げた劇にすごく感動したことがあったんです。

その先生の影響で、「心が揺れる時期の子どもに関わりたい」「中学校の先生になりたい」って思って、教師を目指しました。

 リーダー時代の中学生時代。「強くなくちゃ」と、心の中は寂しかった

子どもたちが学校にいる時間って、1日8時間ぐらいありますよね。綺麗事かもしれないけど、「どんなことがあっても、ここにいる間はみんながほっとできる場所にしたい」というのが私の信条でした。

そんな気持ちで、仕事は本当に一生懸命取り組んできました。

でも途中でメンタルをやられてしまって、病休を取ることになり、結局18年で辞めることになったんです

本当はずっと寂しかった…自分で自分を追い込んでしまい、教師を退職

辞める出来事が何かあったのですか?

編集部
編集部

特にクラスでいじめがあったわけでもないし、何か問題があって批判されたとかでもなかったんですけど、いつの間にか自分で自分を追い込んでいて…

子どもたちがここにいるときは、みんなが安心してほっとできるような場所にしたい」と思って本気でやっていたんですけど、無意識では自分のクラスの子たちだけを自分に都合のいいように囲ってしまっていたんですよね。

極端な言い方をすると「私のクラスさえ居心地良ければいいやん」って、心の底で思ってたんです。他を排除するわけじゃないけど「自分の範疇の子たちは絶対守るからね」って。

なんかその思いが、自分を追い込んでしまったのかな…って。

当時は翌年の自分の姿をイメージすることもできなくなって、「消えてしまいたい」と思っていました。

教職を病休していた頃。娘(次女)さんはお母さんの心の中を察してか、登校時にいつも泣いていた

とても追い詰められていたのですね…

編集部
編集部

はい…。その後「もう1回やり直そう」と思ったんだけど、すごく人からの評価が気になるようになって。「私はできない人間だ」って思いが強くなっていきました。

「隣のクラスのあの先生はできるのに、なんで私はできないんだろう」とか、「あの先生のクラスだったら、この子はもっと成長できるかもしれない」とか、「私が担任だからダメなんだ」とか、たくさん自分を責めていました。

結局、退職を選びました。

辞めた後に「あんなにやりたかった教師なのに、なんで挫折しちゃったのかな…」って振り返ったことがあったんです。

それで気付いたことは、「私はすごく人と比べて生きてきたんだな」って。当時は認めたくなかったけど、本当はあのとき「すごく寂しかったんだな…」って。

「人に迷惑をかけるな」「負けるな」って育てられたから、「強くなきゃ生きていけない」と思い込んでました。ずっと頑張ってきたけど、心の中では自分を理解されない気持ちがあって、ずっと寂しかったんですよね。

それで、子どもたちを必要以上に囲っちゃったり、自分をどんどん追い詰めてたのかなって。

でも、後から個性學を知って、先生方のサポートもあって、最近ようやく、自分の気持ちを素直に認められるようになったんです。

新たな学び、先生との出会い

教師退職後は、どのような道へ?

編集部
編集部

50歳で大学院へー心理師(国家資格)を取得

教師を辞めてからは不登校の子どもの支援教室で仕事をするようになったんですが、「仕事で関わる人たちに、全然認められていない」って感じていたんです。

教師経験の長さは、現場ではあまり尊重されなかったというか…。

だから悔しくて「認められるように心理師の資格を取ろう」と思って、49歳で週末バイトをしながら通信教育から始めて、50歳で大学院に通って勉強しました。

その頃同時進行で、あるオンラインコーチングも受けていたんです。そのコーチが紹介してくださったのが、立石先生個性學でした。

働きながら、大学院での資格取得とオンラインコーチングまで。

すごく頑張っておられたのですね。

個性學を知って、こちらもすぐに学び始めたのですか?

編集部
編集部

「自分のことをわかってもらえた!」

いえ、個性學のことを聞いた当時はなんとなく怖くて、すぐには動けなかったんですよ。

でも「私の個性って何だろう?」「なぜ "學”なんだろう…?」って気になっていました。「學」の字が気になるのは人志向あるあるだそうです(笑)。

一年くらい経った頃に、ふと「よし、行ってみよう!」と思い立って、先に立石先生に会いに行ったんです。

先生にお会いしたら、「自分の話を聞いてもらえた!」「自分のことをわかってもらえた!」って感じましたね。

先生から「大森さんは個性學から始めるといいよ」「自分と相手を知る物差しができるから」と言っていただいて。

その時は正直よくわからなかったんですけど、「先生に勧めてもらったらなら、行ってみよう!」と思って、村上先生の個性學講座を受講しました。

個性學を学んで起きた変化

個性學を学び始めて、変化はありましたか?

編集部
編集部

冷え切っていた家族との関係が改善

学び始めた当初は藁にもすがる思いでした。でも、自分や家族の3分類を知ったときに「こういうことだったのか!」って、スッと腑に落ちることがたくさんあったんですよね。

一番大きく変わったのは、娘との関係です。

当時は親の介護もあったりで私は自分を見つめる余裕が全くなくて心の中はイライラがたくさん溜まっているし、夫は無口で我慢強くて、家の中は本当に静かで。子どもたちは家の中でほとんど話さなくなって、ごはんも私は一人で別の部屋で食べるようになっていました。この頃の記憶がないんですよね。

「とにかくこの状況から抜け出したい」って、いつもずっと思っていました。

特に長女とは、ほとんど会話がなくなっていて…。

でも長女が「大物志向」だというのを知って初めて、「私と娘は個性が違う。同じじゃないんだ」ってわかってきたというか。

特に、娘がよく「だから、何?」と返してくる意味が、やっと腑に落ちたんですよ。

どういうことですか?

編集部
編集部

いつも私が何を言っても「はいはい」って感じの反応で、私ばかりヒートアップしていたんですよね。

でも個性學のサーキュレーションを学ぶなかで、「大物志向は、結論が欲しい」ということを知って、ハッとしました。

娘は、私が何が言いたいのか、結論を早く知りたかったんですよね。

人志向の私が大物志向の娘に話をするときは、まず起承転結の『結』から話すことが大事なんだって気づきました。

それからは、まずは話しかけるときの言葉を意識して、少しづつ変えるところから始めたんです。

なるほど。「言いたいことは、何?」という意味だったのですね。

編集部
編集部

それから、家での散らかりも「大物志向の娘は外で気を張っているから、家では解放されたいんだ」って学んでから気にならなくなって楽になったし、許せるようになったんです。

あと、個性學を通じて気付いた娘の良いところを「その個性を活かすと良いよ!」って娘に伝えたら、すごく喜んでくれたこともありました。

それまで友達を家に連れて来ることなんてなかったんですけど、だんだん連れてくるようになって。

「今、こんなことを考えてるんよね」「こういうところで悩んでるんだけど、どう思う?」って、少しずつ話してくれるようにもなりました。

個性學を学んでから、娘との会話が深まったというか、ちゃんと伝わってるなって感じるようになったんです。

ある日、「お母さん、変わったね」と言ってくれたことがあって。もう、その言葉が本当に嬉しかったです。

「娘は変わらず私を母親として想ってくれていた、変わったのは私なんだ」「個性學を学んでから、私が変われたんだ。ありがとう」って、しみじみ思います。

娘(長女)さんが生まれた当時の写真。「娘は自分の分身」と思っていたが、仕事と育児で中途半端さも感じていた
娘(長女)さんと。個性學を学んでから2人で出かけるようになり、娘さんを尊敬する気持ちが大きくなった。"家族のはじまり"を感じている(2024年)

それは大きな変化ですね!

編集部
編集部

はい。以前は、職場でも家庭でも自分が孤立している感覚が強かったんですが、個性學を知ってから家族間の会話が増えてきて

今も変化している過程です。

相手を知る“物差し”ができた

今は公認心理師としてお子さん向けのカウンセラーをしているんですけど、個性學も意識しながらお話してるんですよ。

その子にとっての幸せを感じることってなかなか見えにくいじゃないですか。だから、3分類の個性を考えて「この言葉がこの子から聴けるようになったら、元気になってこられたな」っていう目安にしてるんです

たとえば、城志向のお子さんだったら「楽しい時間が増えた」って言葉が出てきたり、「納得して決めました」って言葉を聞けたりしたら、「よしよし、いい感じだな」って思うんです。

以前は相手の話にどっぷり入り込んじゃって、すごくくたびれていたんですけど、個性學を学んでからは、格段に楽になりましたね

最初に先生が個性學をおすすめしてくれた理由「個性學は物差しになるから」という言葉につながっているのですね。

編集部
編集部

確かに!そうですね。

今までは自分の見方だけで相手を理解しようとしていたけど、相手が大切にしているものを意識してやりとりし始めたら、私も気持ちが軽くなってきました。

個性學が物差しみたいに目安になってくれていてありがたいです。

やっと見つけた居場所…本気で人と関わる未来へ

今後は、どのような活動を?

編集部
編集部

個性學を学ぶ場には "一人にさせない・孤立させない" 環境がある

「本気で人と関わっていこう」その思いが強いです。

もう一回、本気で人と関われる自分になりたい。やりがいを感じながら生きたい。自分とも相手とも本気で関わっていきたい。

そう思えるようになったのは、立石先生にきっかけをもらって、個性學を学びに行かせてもらってからです。

振り返ったら見守ってくれる、大丈夫と言ってくれる、そういう存在がある、という安心感があって。

村上先生にも、本当に細やかなアドバイスをいただいています。以前コーチングを受けた時、私が小さい頃から持っていた思い込みを手放す場面に立ち会ってもらいました。心強い存在です。

以前はないと思っていた"居場所"みたいなものが、ここにはあるんですよね。一人でやっていない気持ちです。

自立しているけど、孤立を選ばせないものがある。必ず見守ってくれてる人がいて、放り出されない感覚。安心して自分を出せる。それが、ここで個性學を学ぶ魅力だと思っています

私は孤立する癖があるので、皆さんに助けてもらっているんです。個性學で出会った人たちとの繋がりがありがたいです。

その人を、丸ごと大事にする。その人をわかろうとする。

本気さが伝わってくる場所ですよね。

「1人にしないよ」「孤立させないよ」って。

私も個性學ナビゲーターとして、そう決めてお会いしています。

個性學を学んでからの大森さん。安心できる"居場所"を得てイキイキとした毎日に。「次は自分が誰かを元気にできたら」と願ってナビゲーター活動をしている(2024年)

個性學ナビゲーターとして…本気で自分を生きたい女性に伴走したい

それから私は「伴走」という言葉が大好きなんです。

「まだまだ未熟な私が、誰かを元気にできるのかな?」って思うこともあるけど、それでも一緒に歩んでいける存在でありたいなって。

伴走することで、孤立を選ばなくていい生き方をする人を増やしたいと思っています。

私は、自分の内面(人志向 先端型)と外面(城志向 独自型)のギャップに気づいたことで、そして、育ててくれた母と私の個性の違いを知って、幼少期から自分がずっと感じていた寂しさの理由が、少しわかった気がしているんです。

だからこそ、以前の私と同じように、生き方に迷っている人、自分らしく生きたいと思っている人、もう一度本気で自分を生きたいと思っている女性たちにお会いしたいし、仲間になりたい。

それから、子どもや親、夫やパートナー、身近な人との関係を本気で良くしたいと願っている人たちにも、お会いしたいです。

強がって生きざるを得なかった人、本当の自分を置き去りにしてしまった人って、きっといると思うんです。

でも、そんな経験も糧にして生きていけたら、人としての魅力って倍増するんじゃないかなって。

私もまだまだ成長途中だけど、みなさんと一緒に歩んでいきたいと思っています。


「頑張らなきゃ」と強がって孤立を選び続けていた大森さんが、ようやく見つけた安心できる場所。

それが個性學を学ぶ場だったことを、とても嬉しく感じます。

同じように一人で頑張って悩んでいる方たちが、大森さんの無料セッションに出会えたらいいなと願っています。

貴重な経験をお話しいただきありがとうございました。

編集部
編集部

 

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